前の話( 8/26 Up )の続きです。
改めて活字にすると、非常に懐かしいです。
東京支店に向かうため、新宿西口のビル郡(現在は本社に吸収と聞いているが・・)の中へ。
都庁のすぐ近く、モノリスビルでした。
そこでの挨拶を早々に切り上げ???、事務所に向かいます????
事務所って・・・? ここじゃないの??
そう、支店は管理部門のみ。
配属となった各工事部は郊外に・・・
着いてみれば、廃墟ビル?
地上では、U字溝が陥没した・・・道路には多数の亀裂が・・・
大丈夫っ、この建物? その3階が事務所でした。
(現在、都営大江戸線「西新宿5丁目」駅前。建物は解体されていました。)
住まいは川崎市宮前区鷺沼 R246沿いにある社宅でした。
5畳ほどの居室。設備は整っていました。
1階には、食堂、大浴場が完備。
社宅から新宿までは大変な通勤ラッシュ!
毎日のように、化粧品・香水・体臭 入り混じったラッシュ電車内で寿命を縮めていました。それと痴漢の疑いをかけられぬよう、両手をつり革にかけて、(笑)
仕事。8時15分から始まり、終業はたいてい20時、21時。
今思えば、いろいろなことをしました。
ビル建設予定地における地鎮祭の司会進行。その後の直会(なおらい)の司会進行。ついでに会場片付けながらのビールの後片付け(もちろん飲んで ^^/ ルネッサ~ンス)
20現場から山ほどの請求書がきて、そのチェック・仕訳
決算期になると恐ろしい量が・・・
決算期は夜中1時ごろ終わり、焼肉食べてタクシーで帰るのは、ざらでした。
ときには工事代金の受け取りに。
3億円の小切手を持って、五反田から新宿の支店に帰ったり。
人間、大金を持つとなぜきょろきょろ怪しい動きをするのか、よくわかりました。
週末は、実家に戻り波乗りしてリフレッシュ。
東京支店同期の仲間と飲みに行くより、社宅・実家で休むことを優先していました。
いいときもありました。
ある日、いつものように渋谷駅で、山手線に乗り換えるため、駅構内の階段を足早に上がっていました。
「すみませぇん^^」 nッ 女性の声です。
「何か?」 落し物デモしたかと辺りを確認しました。
「あのぉ~、時間ありますか?」 女性が聞いてきます。
「少しならば・・・」 自分も若干余裕があったので。
「今度、一緒にのみに行きませんか?」 「はいッ??」
「いつも通勤のときに見かけていて、次にあったときに誘ってみようと思っていたので・・・」
( 何ですと? 見ればきれいなお姉さん。年は自分よりも下、うん、下です。)
「いやぁ、どうしよう。」
そんな戸惑いに、彼女は、「自分の連絡先です。もし気が向いたら、連絡ください。」
メモを残し、友人と思しき、そちらもまたきれいな女性の下へ帰っていきました。
なんてことでしょう。食事に誘われました。
まぁ、そんなこともありました。
が、苦痛に感じるようになったのは、入社後1年半。
自分はこのままこの生活を続けることが幸せなのか?
働いて十分な給料を得られているが、本当に望んでいる形なのか?
毎日、朝から晩まで仕事場にいて・・・・
(続く・・)
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